2018年 04月 03日
桜めぐり 2018
あっという間に桜が満開を迎え、花見の気持ちも急かされるようだ。
近所にもきれいな桜はたくさんあるけれど、
やっぱりちょっと遠出をして、いつもとは違う景色の中で桜を見てみたい。
シーズンに1度は桜を求めてお出かけしないと気が済まない。
去年は上北山村、おととしはどこだっけ、あ、ちょっと遅れて笠置寺、
その前は滋賀の瀬田川と京都の伏見稲荷。
で、今年は奈良県桜井市方面へ。
白洲正子さんの「十一面観音巡礼」で知った滝蔵神社にある
枝垂れ桜、「権現桜」が一番の目的だった。
もう結構知られているようだが、かなりアクセスが悪い山奥なので
訪れる人は少なく、静かに桜を眺めることができた。
ソメイヨシノより濃い花色。幹を見ると樹齢はだいぶ重ねているようだが
花をたくさんつけていた。
林の中にあった一本桜。緑に囲まれた桜って好き。

倉橋溜め池。「やまと尼寺精進日記」で知った場所。
桜があるかわからなかったが、気持ちよさそうなところなので行ってみた。
ところどころに広場があり、大きくはないが桜もたくさんあって
家族連れが楽しんでいた。

今井谷の八講桜。おそらく15年ぶりくらい。
崖の上の枝垂れ桜で、地元の人が草刈りや登り道の整備などをしてくれているようだ。


2016年 08月 28日
なんとなくドライブの末、伊勢奥津へ
納期間近の仕事を抱えているけれど、どこかへ行きたい気分だったので、
夫の鉄撮に便乗してドライブ。室生のポイントで撮影後、道の駅・宇陀路室生へ。

ここからどうする、と相談して
特に理由もなく、もうひとつ道の駅行ってみる?ということで、
三重県境近くの道の駅・伊勢本街道 御杖(みつえ)へ。
さらにどうする、と相談して、
県境を越えて、JR名松(めいしょう)線の伊勢奥津(いせおきつ)の駅まで行こう、
そこに給水塔が残っているし、と言うので、伊勢奥津へ。
ここがおもしろかった。何もないけれど、
かつての伊勢本街道の宿場町で、たたずまいが残っていて…。
歩いて少しだけ散策、1軒だけあるカフェでお茶。
風が心地よく吹きぬけて気持ちよかった。
駅前に無料のレンタサイクルがあるので、
是非また訪れて自転車をこぎながらゆっくり散策してみたい場所である。





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2015年 05月 10日
電車でGO!~瀬田川と伏見稲荷大社
3日前に東海道新幹線の車窓から見た川の
川っぺりに座って、お弁当を食べるとは思ってもいなかった…。
雨続きの4月だけれど、土曜日はなんとかお天気もちそうな予報。
夫が買った青春18きっぷがあと2回分余っているので
電車で桜を見に行くか!ということになった。
行き先はうちのテツ2人がときどき撮影に行っている瀬田川河畔。
JR石山駅で下車し、コンビニでお弁当を調達して
歩いて数分、河畔に到着。
琵琶湖のある滋賀県の広い川のそば、空も広い!桜が満開!
いや~、とっても気持ちがいい!
瀬田川にかかる鉄橋を、貨物が、旅客列車が走り抜ける。
私もテツを気取って撮影してみる。なんだか楽しいのは気のせい?

少し歩いて、有名な瀬田の唐橋を渡り、再び河畔に下りてお弁当。
青空の下で川風に吹かれてリラ~ックス!いい気持ちだ。
付近の両岸にはさまざまな大学の艇庫があり、
練習のボートが視界を右に左に行きかう。
そういえば私も大学1年の時にボート大会に出て、ロー!キャッチ!って漕いだっけな~。

その後、石山寺まで歩いて、拝観受付の前で回れ右して京阪石山駅へ。

まだ時間があり、天気も大丈夫そうなので、JR伏見で下車して
今度は伏見稲荷大社だ!
ず~っと前に一人で来たことがある。隙間なく立ち並ぶ真っ赤な鳥居は忘れられない。
多くの外国人観光客に混じって、参拝後、背後のお山を中腹あたりまで登った。
息子がおきつねさんの「絵狐(?)」にお顔とお願いごとを書いて奉納し、
桜を見ながら下山。



今日はずいぶん歩いているので、だいぶ疲れてきた。帰途につく。
自宅の最寄駅に着いたら、雨がポツポツ落ちてきた。
よく歩いた、2万歩!桜を十分楽しめた満足感と心地よい疲れ…。
こういう過ごし方もいいなあとしみじみ思った。
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2015年 05月 07日
春休みの帰省
息子と二人で横浜の実家に行ってきた。
春休みに帰省するのは初めてである。
目的は、家のあれこれを手伝い、両親の寂しさや不安を和らげるため。
父が初期のアルツハイマー型認知症で、母が一生懸命介護している。
今はだいぶ生活のペースがつかめて落ち着いてきたようだが
それでも母は目を離すまいと緊張していたり、不安になったりするようだ。
アリセプトなどの薬は毎日飲んでいるが、
ちまたで話題のココナッツオイルを摂り始めてからすぐ、
明らかに認知症の症状が改善する様子が見え、
以降毎日ココナッツオイルを摂りつつ、体を動かしたり庭仕事したりして
脳を働かせるよう促している。
父は嚥下障害も抱えているのだが
こちらも喉の筋肉を鍛える運動や母の食事サポートの努力などにより
劇的に改善し、診察医師に驚かれたそうだ。
普段からメールや電話で二人の様子を聞いてはいるものの
やはり実際に会って話を聞いたり手伝ったりするのは
父は嬉しく、母も安心でき、私も状況がよくわかってよい。
あんなにしっかりしていた父が認知症になってしまい
思うところはここには書ききれないほどある。
でも、高齢ではあっても、この調子で日々を穏やかに
元気に過ごしてほしいと心から思っている。
ところで息子は横浜に行ける!と大喜び。
私の実家であるせいか、横浜は大好きなようで
その地を走る京急電車も大好きだ。
今回初めて、「ドレミファ・インバータ」なるものを聞くことができて舞い上がっている。
電車が発車する際に、車体の下のほうから、「ド~レミファソラシドレ~~♪…」と
音階が聞こえるのである。詳しいことは知らないが、独ジーメンス社の製造部品で
京急でしか耳にできないらしいのだ。
私は高校生から社会人までず~っと京急を利用していたので
なにが珍しいんだか…という感じだが、
息子は上大岡の京急デパートにある電車グッズのお店で
大きなシミュレータを体験するなどして、大満足だった。


2015年 03月 12日
大阪城公園で梅
いつも一緒にお寺などを巡る友人と、今回は梅を見に大阪へ。
私にとっては初めての大阪城公園。
やっぱり広い!お堀には都心であるにもかかわらず水鳥がたくさんいた。


お目当ての梅林は天守を向こうに望む、風がさえぎられるあたたかな場所にあった。
白いの、桃色の、あるいはその二色が混じったの、黄緑がかったの、
どれも見頃で、春の香りに満たされていた。



ここも例にもれず、アジアからの観光客が多くて、天守閣周辺は特ににぎわっていた。
天守閣に登っても、だいたいどのお城でも「別に登らなくてもよかった…」と思うので
下から見上げるだけで満足。

電車で少し移動して、今度は大阪天満宮へ。ここもお初の訪問である。
天満宮といえば梅がつきものだけれど、このお宮にはあまりなかった。
お隣にある寄席、「天満天神繁盛亭」が名前のとおり繁盛している様子だった。

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2014年 10月 15日
三里古墳とナンバンギセル
台風18号最接近の前の日、買い物ついでに三里古墳を見に行ってみた。
「マイブーム」ほどではないが、古墳が気になる息子のリクエストにこたえるため。


国道から住宅と田畑が混在する地区に入る。
ここは、息子が通った幼稚園の「げんきもりもり畑」のあるところだ。
サツマイモの葉が茂っているから、もうすぐ芋掘りで賑わうことだろう。

その畑の所有者で、私が広報で取材に行かせてもらったMさんのお宅の前を通過。(お元気かな。)
脇を流れる用水路のザリガニなどを眺めながら、
小さな坂を上ると、三里古墳の案内板が見つかった。
それによると、この古墳は石棚のある珍しい形式で、
石棚式古墳は紀ノ川流域に見られるとのことである。

この町のルーツは紀ノ川を遡ってきた人たちという話を町史で読んだことがあり、
「紀氏神社」という神社もある。
別々の機会に知ったこれらのことが頭の中でつながるのは面白い。
古墳の横穴の天井部分は既になく、大きな石組がいくつかあるだけの野っぱらなので
さらっと見て帰ることにした。ススキを見かけるとその根元を見る、というクセがついているので
ここでも野道の脇にあるススキの根元を見てみたら…
あったあった!初めて見たナンバンギセル。ススキの根に寄生する植物。


もう花(?)は萎えてしまっているが、この町で見つけて、なんだか感動。
ナンバンギセルはある程度日照が必要と聞いていたので、
ボーボーに群生しているススキよりも
この程度のこぢんまりしたススキの方がいいのかもしれない。
三里古墳での私の一番の収穫は、ナンバンギセルを見たことだった。
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2014年 09月 15日
釣行~尾鷲・引本漁港へ
例によって思いつきのお出かけ。
遅めの朝食が済み、洗濯物を干したところで、出かける話が浮上した。
時刻は9時前。私が「尾鷲行きたい、尾鷲!」と提案すると、
尾鷲なら釣り、という回路が作動、ネットで「尾鷲 釣り」で検索し
引本という漁港を目指すことにした。
夫は急いで釣り道具を用意し、
私は急いで洗濯物を取り込んで部屋干しにし、支度して9時40分ごろに出発した。
昔は42号線を峠を越えつつ延々南下しなければならなかったが
現在では紀勢道が尾鷲まで延びているので、さほど時間はかからない。
紀勢道はほとんどがトンネルか高架。山の中を突き抜けていく感じなので単調な眺めかと思っていたが
山も空もきれいだし、紀伊長島を過ぎると、トンネルとトンネルの間から、海と集落がちらりと見える。
その海の青と、肩を寄せ合うような家々の屋根が美しく、迫る山との対照も鮮烈だ。
釣り場に着いたのは12時半ごろ。
車を横付けできる岸壁で、人も少なく、景色もよくて最高!

コンビニで調達したお昼を食べてから釣り始めた。
息子はサビキ。私と夫は投げ。1投目でいきなりアタリがあった。一気にやる気がアップする。
回遊魚は回っている気配がなく、サビキでは今日はきびしいかもしれない。
引き釣りをやっていると、途中で針がかりする個所があり、
結構な確率で仕掛けをもっていかれるので
遠投して少し引きずって、早めに引き揚げなければならなかった。
じっくり引きずれなかったのがややストレス、でも知れている。
夕方5時過ぎまでの間、アタリは時々あり、小さい魚がいくつか釣れた。
外道は観察後、リリース。
持ち帰ったのはキス2尾、カワハギ1尾のみ。

夕方の光線が、山の合間から差し込み、その光が当たっているところだけが金色に輝いている。

突堤の先端に立つ白灯台、その向こうには、出入りする陸地が重なり合い
墨絵のような光景に見えた。

子どもの頃、家族でよく紀伊長島に釣りに来ていたが
その時に見て今でも頭の中にはっきり残っている風景と、今日の風景は同じだ。
タイムスリップしたかのような不思議な、でも温かい気持ちになり
帰りの車窓からもトンネルの合間に見える風景を見逃すまいと目を凝らしていた。
途中で夕食をとり、21時帰宅。片付け・入浴の後、
魚を作った。カワハギは夫が皮をはぐところまでやってくれたので
後は私が三枚におろして薄造りに。これを肝醤油で和えて頂く。最高においしい。

キスは松葉おろしにして、翌日のお昼に天ぷらにして食べた。
こちらも相変わらずのおいしさ。
ところで、翌日グーグルマップで調べていて気付いた。
私がよく行っていた紀伊長島の海岸と、引本漁港とは
小山ひとつ隔てて隣同士だったということ。
なんと!風景が似ているわけだ。
次回は是非、紀伊長島の海岸で思う存分引き釣りをやってみたい。
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2014年 07月 15日
湖北の記憶~石道寺
2000年4月29日。
木之本地蔵院の次には、そこから2kmほど東にある
「己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)」を目指した。
背後の己高山(こたかみやま)の山中にはいくつかお寺が点在していたらしい。
それらのお寺に安置されていた仏像を集めた収蔵庫である。
収蔵庫なので風情はなく、仏像・神像がずらりと並べられていた。
おひと方だけ、魚の籠を手にした「魚籃(ぎょらん)観音像」だけおぼろげに覚えている。
さらっと拝観した後、一番楽しみにしていた石道寺(しゃくどうじ)へ向かった。
静かな集落の奥の里山にひっそりとたたずむお寺である。
ひなびた土地の小さな色褪せたお堂の中に、美しい十一面さんがいらっしゃる。

ちょうど桜花散る時期。それはまるで散華のように、お堂の屋根や石段をいろどり、
訪れる者を静かに優しく迎えてくれているようだった。

ご本尊の十一面観音菩薩像は、くちびるにうっすらと紅をさしていた。
正確に言えば、造立当初の色彩がくちびるに残っている、ということなのだが
そう言ってしまうと魂を抜いてしまうみたいだ。
ぽってりした頬やふくよかな体つきが妙に親近感を感じさせる。
そして本で読んだとおり、右足の親指がふわっと反っていた。
人々を救いに一歩を踏み出さんとしているのだとか。
なんて慈悲に満ちた姿なのだろう…。
一説によれば、平安末期のお像だそうだ。小さなお堂でその十一面さんが長年守られてきたのだ。
里の人々の信仰がいかに篤かったかがわかる。
自分たちの生活、というより生きることに欠かせない観音様であるに違いない。
現在では重要文化財に指定されているが、
地域外への宣伝や立派な収蔵庫の建設などせず
これからも古来のかたちで、このお像を守っていかれることだろう。
それが里の人々とその生活にとって、ごく自然な姿なのだと思う。
この十一面さんを拝観できただけでも、湖北にやって来てよかった、と心底感じた。

(写真は、トレース台に乗せたリバーサルフィルムをコンデジで複写)
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2014年 06月 21日
湖北の記憶~木之本地蔵院
2000年4月29日。
JR木之本駅の東側に来た。
木之本地蔵院の前の通りはかつての北国街道(ほっこくかいどう)なのだそうだ。
卯建の上がった家々が並んでいる。現在では静かな通りだけれど、往時はさぞ賑わったことだろう。

木之本地蔵院の印象は「地域密着型寺院」。
境内を地元の人々が通路代わりに自由に行き来している。
もしかしたら、近所の子ども達の遊び場にもなっているのだろうか。

このお寺は眼病の霊験があらたかなことで有名らしい。
境内の至る所に「身代わり蛙」がたくさん置かれている。
目の不自由な人にお地蔵様のご加護がありますように、と
片目を閉じて願をかけ、地蔵菩薩にお仕えしているのだとか。
現在でも境内に棲む蛙は、片目を閉じていると言われているそうだ。
そんなの迷信でしょ…などと無粋はことは考えまい。

(写真は、トレース台に乗せたリバーサルフィルムをコンデジで複写)
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2014年 06月 17日
湖北の記憶~伊香具神社
2000年4月29日。
事前に調べた資料に載っていた伊香具神社(いかぐじんじゃ)にも行ってみた。
「伊香式鳥居」というので有名なのだそうだ。
これも大音(おおと)地区にある。
はっきり言って、この神社に関する記憶はほとんどない。
覚えているのは、まだ若い桜の並木が参道にあったこと、
「伊香式鳥居」とは、大和の桧原神社にあるような三ツ鳥居であること、
ここもホントに人がいなくて、寂しげだったこと。
この記事を書くにあたりネットで少し調べてみると
境内も社殿も古式ゆかしい、立派なもののようだ。
なぜもっとちゃんと見ておかなかったのかと今頃悔やんでも後の祭り。
大音の別の場所に、この神社の摂社・意太(おふと)神社というのがあり、
一説によれば「おふと」が「おおと」の由来だそうだ。
「和楽器の弦を作っている里 → “音”の字が入っていることに一人納得」が
やはりなんの脈絡もないことを、今さら知らされた。


(写真は、トレース台に乗せたリバーサルフィルムをコンデジで複写)
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