春日大社と萬葉植物園へ

◆2016年5月17日(火)

ちょっと思うところがあり、一人で春日大社へ行ってきた。
平日にもかかわらず、参道には大勢の人。
特に外国、なかでもアジアからの観光客が多い。
行くたび増えているような気がする。

騒々しいグループや、その格好どうなの?と言いたくなるような人もいて
できるだけ清々しい気持ちで参拝したい私としては、かなり残念…。

が、気を取り直して、手水舎で手を口を清めてからずんずん歩いて
幣殿からななめ左を向いて参拝した(式年造替のため神様は仮殿にいらっしゃる)。

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春日の大神様は私や家族にご縁があると勝手に思っている。
私は三重県に住んでいた子どもの頃から家族でよくお参りに来た。
横浜から奈良に通いだしてからも、何回か参拝しており、
結婚式も春日大社で挙げた。

それから、父母の横須賀の実家の氏神様が春日神社で
もちろん奈良の春日大社と関係するお社である。
親戚もまた、横須賀の春日神社で挙式し、
私も子どもの頃に両親の実家に遊びに行った際、
散歩がてら春日神社にお参りに行ったのを覚えている。

現在、父は病気を抱えていて、距離のある外出は難しいので
励ましの気持ちを込めて、心身守を求めた。
近々手紙とともに父に送ろうと思う。

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参拝後、萬葉植物園に入った。
昔いちどだけ訪れたことがあるが、地味な植物園で
池に浮かぶ舞台と「神」の文字が刻まれた大きな石を覚えているくらいだった。

この時期は藤の花も終わり、ややさびしい感じだったが
里山クラブのメンバーになってからは野の花や木に興味が出てきたので
以前よりはまじめに園内を回ることができた。
騒々しい参道とは打って変わって、ほとんど人がいない園内。
新緑に包まれた空気がとても気持ち良かった。
以下、覚書をかねて。

 朴の木(ホオノキ)。大きな葉っぱ。e0091161_229680.jpg

 杜若(カキツバタ)。e0091161_2291752.jpg

 二人静(フタリシズカ)。 e0091161_2293045.jpg

 小川が流れる園内。e0091161_2294656.jpg

e0091161_2295675.jpg 蟻通(アリドオシ)。すごいトゲトゲ。
説明板に曰く、
「家の庭にマンリョウ、センリョウ、カラタチバナ、ヤブコウジ、アリドオシを
 植えることで、万両、千両、百両、十両、有り通し(一両)となり、つまり
 お金が常にあることを願う縁起物として植えられる。しかし、アリドオシを
 植えていなければ、万両、千両、百両、十両、無し通し(常に無いまま)となる。」


 甘野老(アマドコロ)の茎。e0091161_22101542.jpg

 桂(カツラ)。e0091161_22102652.jpg

e0091161_2210354.jpg 句碑。
 「かすがのに おしてるつきの ほがらかに
   あきのゆふべと なりにけるかも 」 秋艸道人



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# by lesjoursk | 2016-05-17 22:41 | 奈 良 | Comments(2)

夏の花苗植え込みと覚書

◆2016年5月8日(日)

久しぶりに土いじり。
いや、草取りはほぼ毎日少しずつしているのだけれど
今日は花鉢の植え替え。午後じゅうずっと庭にいた。

苗はこれまた久々のオカモトガーデンにて調達。
作出された花がどんどん出てくる。
ペチュニアなんか、病気じゃない?って感じの、まだらの花びら…
ここまでやっちゃうのかー…と思うのは私だけだろうか。

当然、名前も新しく付けられており、覚えられやしない。

以下、覚書もかねて。

▼アジサイ ‘アドリア’
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▼ペチュニア ‘プレジャー’ オレンジコーラル
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▼バーベナ ‘ラナイ’ ライムグリーン
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▼スカビオサ ‘ブルーバルーン’
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冬からずっと咲いてくれていた鉢のビオラはもうだいぶ徒長してきたので処分した。
残っている花はもったいないので、摘んで食卓へ。
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いい香りがしている。長い間いっぱい咲いてくれて、ありがと♡




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# by lesjoursk | 2016-05-08 21:51 | ガーデニング | Comments(0)

全国学力調査を親がやってみた

◆2016年4月21日(木)◆

おとといの19日に、全国の小6・中3を対象に「学力調査」があった。
教科は国語・算数(数学)である。

小6の息子は、どれも「すっごい難しくて大変だったよ~~~」と嘆き節。
まあそれは言わんでもだいたいわかっとる、
と私は思うのだが、子どもになんやかんや言う前に自分でも算数をやってみた。

「算数A」と「算数B」があり、Aのほうは基本的な問題が多く
まあまあできたとのことだったので、Bのほうをやってみた。
(問題はテスト翌日の新聞に掲載されている。)

感想。

算数の問題というより、国語の問題、といえそうなほど
記述を求める問題が多い。
当然、問題文も長い。
普段から字ばっかりの本をほぼ読まない息子にとってみれば
こりゃあさぞこたえたことだろうよ。

問題文を正確に読み取り、理解し、思考し、
その結果を段階を踏んで自分の言葉で説明できるか。
問題そのものは簡単なのだが、解答の書き方が難しいのだろうな。

息子にとっては言わずもがなだが、
活字に接する機会が少ない今の子どもたちには、難しいテストだっただろうと思う。

で、やっぱり日本語で読み書きするのは大事なんだなーと再認識した。
早期教育とかで早々と英語を習わせる家もあるが
私はやはり、まず、日本語で自在に表現できるようになれ!と考えている。

あああ、息子はいつになったら読書に興味を示すようになるのだろうか…。

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# by lesjoursk | 2016-04-21 10:56 | 幼稚園→小学校 | Comments(0)

今日の夕食ができるまで

◆2016年4月9日(土)

今日は土曜日。
夫は友人と出かけて夕食いらないから ( ̄▽ ̄) 、私と息子の二人だ。

おとといの木曜日にカレーをたんまり作った。
ウチではその翌日はカツカレーとほぼ決まっている。
なので、昨日の金曜日には薄切り肉の重ねトンカツを多めに作った。
今日の夕食に使うつもりで。

よって、今日の夕食はカツ丼。
三つ葉も紅生姜もないけれど、
ここ数日風邪で不調なので買い物には行きたくないから
青ネギでも散らすか…。

副菜をどうするかなー。まずワカメのお吸い物でも作るか。
チョイマチ!昨日、はす向かいのおばちゃんから
茹で筍をもらったんだった!

ということで、筍の土佐煮を作った。

あとは~

冷凍庫に茹で青菜があるはず…。
菜の花とブロッコリーがいい分量ある。
これは、胡麻マヨネーズ和えにすっか…。

おっと~、冷蔵庫に明後日が消費期限のちっこいお豆腐もある。
これは冷奴でいいや。

そして、けさ夫の友人から頂いた自家製のいかなご釘煮がある。
これがまた絶品なんだなー!

よし決まり。

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カツ丼ラブの息子は、一口食べるや、「パーフェクト!」と言った。
自分で言うのもナンだが、確かにおいしい。
思うに、自家製のカツがよいのだ。
米油で揚げているので、全然油っこくない。

テキトーに用意したわりに、満足度高い夕食であった。

でも汁物を結局作らなかったなぁ。




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# by lesjoursk | 2016-04-09 20:12 | 食べ物 | Comments(2)

世の中にたえてさくらのなかりせば…

◆2016年4月5日(火)

ソメイヨシノのお花見ができず、まさに

  春の心はのどけからまし…

の心境、なんとなく落ち着かない。
夫→息子…とバトンタッチされた風邪が、やっぱり私にくるか~?! というビミョーなところ、
うがいと市販薬で対処しようとしている。

今日、掃除のあとに、お軸を掛け替えた。
あえて五月人形はまだ飾らず、少しの間、鯉を眺めていようと思う。
庭の水仙を生けてみたが、花瓶とあわず
まぁないよりいいでしょ、という感じ。
小手鞠が咲いたらそれを盛大に飾るつもりでいる。

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# by lesjoursk | 2016-04-05 13:06 | 暮らし | Comments(0)

『ゆ・り・こ!』

◆2016年3月1日(火)

「子どもへのまなざし」という本の挿絵の画家が
山脇百合子さん、という話で思い出したこと。
百合子さんといえば、お姉さんの中川李枝子さんとともに
絵本「ぐりとぐら」の作者として有名である。

私も息子の寝かしつけのときにたくさん読んだ。
息子もぐりぐらシリーズは大好きだった。
寝る前に読むのは(私が眠りそうになるから)3冊まで、と決めていたが
そのうち2冊はぐりぐらだったことが多かった。
私も、お話だけでなく、百合子さんの絵がとても好きだった。
居心地よさそうな、あたたかみのあるぐりとぐらのおうちに
私も住んでみたいな~、なんて思ったものである。

 ぼくらのなまえは ぐりとぐら
 このよでいちばん すきなのは
 おりょうりすること たべること
 ぐりぐら ぐりぐら

という歌に私がメロディーをつけて歌うと
理由はわからないが、息子が「やめて!」と抗議した。

そして、最後まで読んで、私が、「はい、お・わ・り!」と言うと
息子は、「ゆ・い・こ!」と言うのである。

それは、後ろの扉の絵のわきにある、小さな百合子さんのサイン。
息子はそれもお話の一部であるかのように読んだ。毎回。
「ゆりこ」と書いてあるとおり読んでいるつもりなのだけれど
まだ「ら」行がうまく言えなくて、「ゆりこ」が「ゆいこ」になるのだった。
幼稚園年少さんの前後のことだったろうか…。
ひらがなも自分でよめたのか、私が教えたのか覚えていない。

5年生となった今でも、私はそのことが懐かしくて
番組でも作業でも何かが終わった時にときどきふざけて「ゆりこ!」と言うと
息子は、「なんでそんなこと言うの~~~!」
とニヤニヤしながら照れる。

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# by lesjoursk | 2016-03-01 21:36 | 幼稚園→小学校 | Comments(0)

佐々木正美 著 『子どもへのまなざし』

◆2016年2月28日(日)

久しぶりに一気に本を読んだ。
児童精神科医の佐々木正美氏の著書「子どもへのまなざし」。

いい本である。今まで自分の中でぼんやりとしか感じられなかったことを
明確に言葉にされており、その一つ一つに、そういうことなのか、と納得できる。
何より、タイトルにあるとおり、子どもへのまなざしがとても優しい。
文章や話しぶり(本書は数回にわたる講演会の内容をまとめたもの)から
たとえ先生のお顔を見たことはなくても、話を直接聞いたことがなくても、
確信をもって、佐々木先生はやさしい、と言える。わかる。

佐々木先生のことを知ったのは、だいぶ前に買った「暮しの手帖」の中のエッセイ。
短い文章だったが、やさしさあふれる、難しい言葉を使わない文章で、
読む私の心にすっすっと入り込んでくる内容だった。
もっとこの人の本を読んでみたいと思った。

それからしばらく忘れてしまっていたが、
先日の新聞の書評欄で再び先生の名前を目にして、
そこで紹介されていた本書を手に取った。

内容の大半が、乳幼児を持つ親、保育・教育にかかわる人に向けた内容で
うちの場合はもう乳幼児を通り越してしまっているので
読んだことがすぐ役立つというものではない。
(もちろんハウツー本ではない。)
でも、これから難しい時期を迎えるであろう息子に対しても
先生がおっしゃる親としての姿勢みたいなものは、とても参考になる。

それともう一つ、挿絵が山脇百合子さん!あの、『ぐりとぐら』の!
先生のやさしいまなざしあふれる本に、まさにぴったりの挿絵!
『ぐりとぐら』シリーズは息子がもっと小さいころにたくさん読んだ。
あの頃のことを思い出させてくれる、すてきな挿絵にも、なんだか胸が熱くなった。


*** 以下に、心に残った一節を引用します。

「過剰期待は子どもの自由な発達のさまたげ」---
 親は自分の子どものことを愛していると思いながら、親の一方的な都合や願望で子どもに過剰期待をしていることがあります。子どもにとって親の存在が、重荷や負担に感じられるのは、親の過剰な期待や干渉があるときです。そしてそのことが、しばしば、子どもの自主性や主体性といったものの発達を阻害して、社会的に自立した子どもに育たないことの原因にもなります。ときとして、放任より悪い結果をひきおこすこともあります。もちろん、保育者や教育者にもそういうことがありえます。
 過剰期待というのは、たいていの場合、子供の将来を思ってそうしているのですけれど、じっさいには、されたほうは非常に苦しいものなのです。…
 …
 過剰期待の意味は、子どもの精神保健や子どもの教育、保育にたずさわる者としては、「いろはのい」として、よく知らないといけない基本的な事柄なのです。…
 子どもにたいする過剰期待というのは、子どもの将来をより豊かなものにしてあげたいという、相手にたいする思いやりや愛情のつもりでいるかもしれません。しかし、これはとんでもなくて、子どもが感じている心理的意味は、拒否されていることなのです。なぜかというと、現状のあなたには満足していないんだということを、別の表現を使っていっているだけなのですから。

「自分のやりたいことがいっぱいある親たち」---
 現代の若い両親は、子どもに目を向けてあげることが、できなくなりつつあります。それは、なぜかといいますと、今日の日本の風潮の中で、ずっと若いときから、親自身が自分の楽しみを生活の中心にするという習慣が身についているからです。ですから、子どもが生まれたとしても、日常の関心は、子どもが求めているほど育児には向かないで、自分の興味とか趣味に向かってしまいがちです。
 …
 けれども、人間というのは、自分の楽しみばかり求めても、本当の幸福は得られないのです。周囲の人の幸せのために自分が生かされていることに、喜びを感じることができるのが、人間としての幸福ですよね。
 …
 子どもの精神科の医者として、お母さんやお父さんにお願いしたいことは、子どもの笑顔や喜ぶ姿に、ご自身が喜べるご両親であってほしいということです。親の希望どおりのことを、子どもがしてくれることに喜びを感じるのではなく、子どもの希望にこたえられることに、幸福を感じられる親であってほしいということです。
 「人間」の本当の幸福は、相手の幸せのために自分が生かされていることが、感じられるときに味わえるものです。このことは本当に本当です。自分の幸せばかり追求することによって得られる幸せなど、本当の幸福ではけっして、けっしてないのですから。

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# by lesjoursk | 2016-02-28 21:19 | | Comments(0)